豊親センターが目指すもの
- 利用者(なかま)一人ひとりの人権及び意思を尊重し、本人の障害特性を踏まえ、なかま・家族の願いをもとに、人生がより豊かに過ごせるように支援します。
- すべてのなかまが「生産活動」に参加する機会を作り、「はたらくこと」を通して作業に関わる喜びを感じ、作業する意欲を育んでいきます。
- なかまたちが多くの人からの支援を受けて、自立に向けた社会生活が送れるよう、関係機関・団体等と連携し、協働して支援していきます。
- 職員・家族が協働して、安心して生活できる環境づくりに取り組み、地域に開かれた施設づくりにつとめていきます。
豊親センターが果たす役割
なかまたちが学校を卒業した後、はたらきながらその後の人生を歩んでいく中において、施設の果たす役割は大変大きいものがあります。毎日、集団生活の中で安定した生活を過ごし、また、日々の作業に従事し、なかまたちと共同して働くことを通して、助け合いの関係を築いていきます。 そして、労働(作業)を通して、工賃を得て、欲しいものを買ったり、休日の外出等を有意義に過ごしたり、なかまたちの豊かな暮らしを支えていきます。なかまや家族にとっての安心した暮らしを目指して、一緒に取り組んでまいります。
豊親とは
寝屋川市役所に奉職し、縁あって、平成4年4月から平成8年3月までの4年間「寝屋川市立あかつき園・ひばり園」で勤務し、子どもたち・家族・職員から 多くのことを学ぶ機会を得ました。
寝屋川市立あかつき園・ひばり園には、当時(1992年(平成4年))、管理職 と歴代の家族会正副会長が集う「OB会」という組織がありました。毎年一回、 管理職とOB会のみなさんとの交流会を開催し、子育ての悩みや将来について の不安など、『親亡き後』の問題も含め、いろんな意見交換が行われていまし た。後輩のお母さんたちが先輩のお母さんたちから学ぶ絶好の機会でもあり、 私にとっては親のねがい・意見を聞くよい機会でありました。 あるお母さんから聞かされたことば「私の今ある人生は、この子のお陰であ る」、「この子と出逢(であ)って本当によかった」と発せられることばにびっくりしたことを先日のように覚えています。
私たちの発想は「障がいの子がいて可愛そう」と思いがちであるが、逆であった。与えられた人生を心豊かに生きている親との出会い・・・・・。
私もそういった親たちと共に歩み、悩みをもちつつ、与えられた人生を心豊かに生きる人たちと共に交わり、多くの人と出会える場を作りたいという思いで『豊親』と名づけました。「豊かな親」と書いて「ほうしん」と呼ぶ。この「豊」は尊敬する母親「トヨ」の精神を重ね合わせています。
母は一生涯を親鸞聖人のみ教え『浄土真宗』に帰依し、常に聴聞し、身でもって教えを実践し生きた人である。「後生の一大事」を心にかけて日々お念仏の生活をしていました。どんなに苦しくても、その事実を一身に引き受け、身を粉にして心豊かに生きた人である。
母(トヨ)と父(一治)は夫婦揃って、常に『聞法の場』であるお寺に足を運び、どんなに野良(田・畑)仕事が忙しくとも「お寺が勤まる」ときは、時間を惜しんでお参りしていました。 特に、10月・11月は田んぼの刈り入れ時で非常に忙しい。日が明けぬ内から夜の月明かりの中で仕事を終えて帰ってきました。この間、村々のお寺で『報恩講』(ほんこさんと親しみをもって呼ばれていました)が勤まれば、忙しい最中のなかでも夫婦そろって昼・夜とお参りしていた姿が想い出されます。
この施設ができたのも、父と母が二人して苦労をして残してくれた財産があってのことである。両親二人に心から感謝しています。
社会福祉法人 療育・自立センター
辻本 治雄
豊親センターのあゆみ
平成10年4月1日 | 太間福祉作業所(小規模作業所) 開設 |
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平成14年12月9日 | 大阪府から法人認可 |
平成14年12月11日 | 社会福祉法人 豊親福祉会 設立 |
平成15年4月1日 | つばさ福祉作業所(知的障害者通所授産施設) 開設 ヘルパーステーションつばさ(居宅介護事業所) 開設 太間福祉作業所 閉鎖 |
平成16年11月20日 | 居宅介護(現移動支援事業)従事者養成研修事業開始 |
平成24年5月1日 | チャレンジドセンターつばさ 開設 |
平成24年12月1日 | つばさ児童デイサービスセンター(放課後等デイサービス事業)開設 |
令和 元年7月1日 | 社会福祉法人 療育・自立センター と 統合 |
令和4年4月1日 | 第2つばさ児童デイサービスセンター 開設 |